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コミュニケーションの手前に

執筆者: 高橋鴻介

作成日: 2026.05.11最終更新日: 2026.05.11

読了時間: 約2分

The best weapon is to sit down and talk.”
(最強の武器とは、腰を下ろして対話することだ)

これは、南アフリカ元大統領ネルソン・マンデラの言葉だ。
反アパルトヘイトを掲げたマンデラは、国家反逆罪により27年間にわたってロベン島の監獄に投獄された。釈放後、彼はアパルトヘイト撤廃へと再び歩み出す。そのとき彼が選んだのは、敵と対立する道ではなく、この言葉が示すように対話の道だった。

この言葉を冠した The Best Weapon という椅子が、オスロのノーベル平和センターの前に置かれている、と最近教えてもらった。

この椅子は、緩やかな弧を描いている。
座った人々が、自然と互いに近づくように設計されているのだという。
座ることで、ほんの少し他者と距離が縮まる。そして、ふと言葉を交わしはじめる。平和的な対話を促す存在として、この作品はそこにある。

このことを知ったとき、言い表せないほどの衝撃を受けた。シンプルな円弧の中に、平和に向けた行動がそっと埋め込まれている。「つい近づいてしまう」というキュートさも、たまらなく素敵だ。

「対話する」の前に起こること

最近、いろんな場所で「対話が大事だ」と語られている。
人々が向き合い、言葉を交わし、お互いを理解する。
それはたしかに素晴らしい光景だ。

でも、少し立ち止まって考えてみると、初めて出会う人と対話することは、本来とても心理的なハードルが高いものではないか。

「対話の場を開きます」と言われて、いったいどれだけの人がその場に足を運べるだろう。そこに参加できる人たちだけで話して、「対話をした」と言ってしまっていいのだろうか。

平田オリザさんの『わかりあえないことから』に、こんな一節が出てくる。

日本のこれまでの表現教育というものは、教師が子どもの首を絞めながら、「表現しろ、表現しろ!」と言っているようにしか見えない。そういう教員は、たいていが熱心な先生で、周りも「なんか違うな」と思っていても口出しができない。 私は、そういう熱心な先生には、そっと後ろから近づいていって肩を叩いて、「いや、まだ、その子は表現したいと思っていませんよ」と言ってあげたいといつも感じる。
― わかりあえないことから | 平田オリザ

これは表現教育についての言葉だが、同じことが対話にも言えると思う。

「まだ、その人は対話したいと思っていませんよ」

コミュニケーションを促すもの

対話がはじまるためには、きっとその前に、なにかきっかけが必要なのだ。

そしてこのプロダクトは、そのきっかけを、とてもキュートな形で設計している。関わることを強制するでもなく、かといって受け取り手に委ねきるのでもなく、ほんの少し弧をつける、というちょうどよい塩梅で、人と人を近づけている。

対話の前にある、小さな一歩。そのためにデザインができることを、この椅子は教えてくれるように思う。